「銀閣(慈照寺)」が銀じゃないのはなぜ?名前の由来とは?

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知識

 

慈照寺が「銀閣」と呼ばれる理由について、
その背景を探ってみましょう。

金閣寺との比較で考えると、慈照寺には
実際には銀の装飾が施されていません。

それにもかかわらず、なぜこの名前が
ついたのでしょうか?

「銀閣(慈照寺)」の名前の由来

結論として、「銀閣」という名前は、
金閣との地理的な対比から生まれた
ものであり、実際には「慈照寺・
観音殿」が公式名称です。

 

「銀閣」という名称の背後には、
金閣寺の金箔が施された美しさに対して、
慈照寺には銀が使われていないという
事実があります。

この俗称が生まれた背景にはいくつかの
理由が考えられます。

一説には、もともと銀で装飾する計画が
あったものの、財政難や建築主の
予期せぬ死去などの理由で中止になった
とされています。

ほかにも、日の光を受けて建物が
銀色に輝いて見えたから、または
一時的に銀で覆われていたが、それが
後に失われたとも言われていますが、
これらの説は科学的調査により否定
されています。

慈照寺を建てたのは、金閣の創建者
である足利義満の孫、義政です。

彼が金閣に倣ってこの寺を建立した
ことから、「銀閣」という名前が
後代に伝わることになりました。

この名称は、金に対して銀という
対比から来たとも考えられますが、
これは確たる根拠に基づくものでは
ないかもしれません。

結局、「銀閣」という名前は、銀を
使った装飾がないにも関わらず、その
歴史的背景や比較、そして名称が時代を
超えて定着した結果と言えるでしょう。

要旨:「銀閣(慈照寺)」の名前がついた実際の理由

将軍職から離れたいと考えた足利義政は、
祖父である義満が建てた金閣に倣って、
退隠の場として銀閣を建設しました。

銀閣と名付けられた背景には主に二つの
理由が挙げられます。

1. 最初は銀箔を使う予定でしたが、応仁の乱による財政難で計画は中止に追い込まれました。
2. 金閣を模して造られた結果、地理的な関係から江戸時代初期に「北山の金閣と対になる東山の銀閣」と呼ばれるようになりました。

実は、銀閣は義政の私邸として建てられ、
彼の没後に寺に改められました。

このことから、2番目の理由がより
妥当であるとされています。

以前は「銀箔が使われていたが、
時間が経つにつれ剥がれ落ちた」
という説もありましたが、2009年
11月に行われた京都府による調査で、
銀箔が使われていなかったことが
明らかになり、この説は否定されました。

当初、銀閣の外壁には黒漆が塗られて
いましたが、年月が経つうちにその
ほとんどが剥がれてしまいました。

京都府が元の黒漆での復元を計画
しましたが、慈照寺側はこれに反対を
示しました。

結論として、「銀閣」という名前は、
金閣との地理的な対比から生まれた
ものであり、実際には「慈照寺・
観音殿」が公式名称です。

この名前は、江戸時代になってから
広まったものです。

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