「博多どんたく」の「どんたく」とは何?しゃもじとお面の由来と入手方法

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祭り・イベント
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福岡県博多地区は、豊かな文化と伝統が
息づいています。

博多ラーメンや辛子明太子、もつ鍋、
うどんなどの美味しい食べ物が有名ですが、
地元の祭りにも大きな魅力があります。

特にゴールデンウィークに開催される
「博多どんたく」は、全国から人々が
集まるほどです。

この記事では、「博多どんたく」の魅力、
祭りで見られる「しゃもじ」と「お面」の
意味、そしてこれらのアイテムをどこで
入手できるのかを解説します。

博多どんたくの伝統とその意味

「どんたく」という言葉は、オランダ語の
「Zondag(ゾンターク・日曜日)」が
変化してできたもので、明治初期に
日本で使われ始めました。

当時、日本では曜日の概念が浸透して
おらず、「どんたく」は「休日」として
広まりました。

この言葉がなぜ使われるようになった
のかは明確ではありませんが、博多の
人々が「どんたくの日は何があっても
休んで祭りに参加する」という強い
意志を表す言葉として使われたと
言われています。

この日、博多は特別な活気にあふれ、
街中で三味線や太鼓の音が鳴り響きます。

このような賑わいを「通りもん」と
呼びます。

しゃもじの使用に込められた意味

博多どんたくで踊る人々が使用する
「しゃもじ」は、江戸時代に普及しました。

当時、庶民は楽器を購入する余裕が
なかったため、身近なしゃもじを
リズム楽器として用いるようになりました。

また、料理中の女性たちが祭りを
観に走り出す際、手にしていた
しゃもじを持ち出したというエピソードも
残っています。

博多どんたくでのお面の役割

博多どんたくで参加者が装着するお面は
「にわか半面」と呼ばれ、身分や正体を
隠す目的で使用されます。

これをつけて博多弁を使い、即興の
演技や言葉遊びを行うことが「博多
にわか」として親しまれています。

この伝統は江戸時代から続いており、
博多どんたくの魅力的な要素の一つ
とされています。

しゃもじやお面の入手方法

しゃもじやお面は、福岡市内の博多駅、
天神地区、中洲・川端地区などで限定的に
配布されます。

博多どんたくでは市内約30箇所に演舞台が
設けられ、様々なイベントが開催されます。

これらの場所で音楽やダンス、芸能人の
パフォーマンスなど、多彩な催しを
楽しむことができます。

無料のパンフレットも配布されており、
計画を立てる際の参考になります。

博多どんたくの起源と歴史

「福岡市民の祭り 博多どんたく港祭り」
としても知られる博多どんたくは、
毎年5月3日と4日に福岡市で開催されて
います。

この祭りは、観客数が200万人を超え、
国内でも特に大規模なお祭りとして広く
知られています。

博多どんたくの起源は、「博多松囃子
(はかたまつばやし)」という伝統的な
行事にあります。

この行事では、「福禄寿」「大黒天」
「恵比須」といった三福神が馬に乗り、
稚児たちが太鼓を叩きながら町中を
練り歩き、各地で演芸を披露して祝祭を
行っていました。

博多松囃子の具体的な起源には複数の
説が存在します。

一つの説では、筑前国(現在の福岡県)の
領主だった平重盛が、博多に日本初の
人工港「袖の湊」を造った際、地元住民が
感謝の意を込めて祭りを始めたとされて
います。

また、室町時代に京都で行われていた
松囃子の風習が博多にも伝わったという説も
あります。

江戸時代には、福岡城下の人々が新年を
祝うために博多松囃子を行い、藩主で
ある黒田家への敬意を表していました。

しかし、明治時代になると「金銭の浪費」
と見なされて一時的に禁止されました。

明治12年(1879年)、天長節を祝う
行事として「博多松囃子」は「どんたく」
という名前に変更されました。

その後、昭和初期には日露戦争の勝利や
天皇の即位など、国の大事を祝う際にも
どんたくが行われましたが、1938年に
一時中断されました。

戦後の1946年に「博多復興祭」として
復活し、翌年から「博多どんたく」として
再開されました。

昭和24年(1949年)からは憲法記念日に
合わせて開催されるようになり、現在の
博多どんたくの形式が確立されました。

まとめ

博多どんたくは毎年多くの人々で
賑わい、福岡市内の広範囲で様々な
活動が行われます。

事前に行きたい場所や参加したい
イベントを決めておくことで、より
スムーズに楽しむことができます。

フィナーレでは参加者や観光客も
一緒になって「総踊り」に参加する機会が
ありますので、ぜひ参加してみてください。

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